このブログは「習慣が幸せのカギを握っている」というコンセプトのもと、ハッピーな人生を送るためにはよりよい習慣を身につけるのが大切なんだということを自分にもみんなにも伝えたいと思って書いております。

そんな思いのなか、先月も習慣化させたいことをリストアップして実施結果を記録してみたので結果を晒します。

201207

まず、先々月から変えたポイントとしては、取り組む項目が多すぎたので、次の5つに絞りました。

・happit(このブログに関する作業)
・YOGA
・瞑想(坐禅)
・表の記入
・支出記録(お小遣いアプリで支出内容記入)

7月の目標は実施率80%以上というもので、平均ではぎりぎり80%を超え、目標を達成できました。

その他気づいた点は

・月曜日はテンションが上がらず朝のYOGA、瞑想をする気が湧かない。
・朝、きちんとYOGAと瞑想ができた日は一日調子がよい。
・ブログの作業は毎日コンスタントにやるのが厳しい。
 (投稿が基準じゃないので、どこからどこまでがブログに関する作業なのかあいまい)

といったところです。

6月に比べ、実施率が大幅に改善しました。8月はもっと絞り込んで、確実に毎日やるということにチャレンジしていきたいと思います。

昔に比べて今は、人々の生活の質は飛躍的に向上し、便利な世の中になった。戦争や金融危機やその他もろもろ不幸な出来事は起きているけれど、全体的にみて右肩上がりに便利な世の中になっている、と多くの人が疑いもなく思っている。

でも、便利で豊かな社会になった反面、人々の生き物としての能力は劣化しているように思えてならない。便利さの追求の結果、我々人間の行き着く姿は映画『ウォーリー』に出てくる人間のような、ただ座ってるだけであらゆるサービスを受けられるがために自分の足では動けない劣化した生物に成り下がる可能性だって十分ある。

現代は、経済至上主義とも言える状況で、しかも消費者自身が望むものというより売り手側(企業側)が自分たちの利益追求のために、何とか買ってもらえる商品を企画して売っているような印象がある。別に欲しくもないんだけど、マーケティングや販売促進の妙につられて物やサービスを買ってしまった経験は誰にでもあるだろう。

また、現代社会の消費者は目が肥えている。「これまでよりさらに良い商品」に慣れている。そのため売り手側も、より興味を持ってもらえるように努力する。その結果、より刺激的で印象的な方法になりがちだ。

現代人はより便利な商品やより刺激的なものにさらされ続けており、しかも相手側(売り手側)からどんどん情報がやってくるため、受け身になりやすい。その結果自発的な部分がどんどん退化していっているんじゃないか。少なくても僕自身を例にとると、年々その思いが強まっている。

一見便利で快適な生活をしているんだけど、自発的ではなく生物として生きている充足感を得られない。

ひとことでいうとこんなところか。

これからの時代、無節操に消費をするのではなく、自発的・自覚的に消費するスタイルがカッコイイ、と思われる時がくるんじゃないかなと思う。

そして自発的・自覚的になるには一度、何かと過剰になりがちなものを捨てる必要がある。
例えば
・モノ
・情報
・コミュニケーション
・カロリー
など。減らすことによって、これまで見えなかった微細なことに気がつくようになるのではないだろうか。

このブログは「習慣が幸せのカギを握っている」というコンセプトのもと、ハッピーな人生を送るためにはよりよい習慣を身につけるのが大切なんだということを自分にもみんなにも伝えたいと思って書いております。

そんな思いのなか、先月から習慣化させたいことをリストアップして実施結果を記録するようにしたので結果を晒します。

myHappit201206

燦々たる結果ですね。。。習慣をテーマの一つにしているブログの管理人とは思えないほどの怠けっぷりw

敗因は、欲張りすぎたということに尽きます。やれもしないのにあれもこれもやろうとして、結果全てが中途半端になっているような状況でした。

今月はもっと対象を絞って、まずはやると決意したものについてはやりきることを目標にチャレンジしていきたいと思っています。

幸せになるための条件ってあるんだろうか?

ここ最近、「幸せってなんだろう?どうすれば幸せな人生を歩めるんだろう?」ということを考えていて、ふと気づいたことがあります。それは「もしこうなったら今より幸せになれるのに」とか「◯◯があれば今より幸せなのに」と思ったりすることがあるけれど、そもそも幸せというのはそういう「もし◯◯ならば」といった条件付きなのか?ということです。

僕の場合、「もし俺にもっと才能があったらなぁ」とか、「もっとお金があったらなぁ」とかいう願望があるんですが、仮にそれらが手に入ったからといって、幸せになれるとは限りません。幸せになれるかどうかは、自分が幸せだと感じられるかどうかにかかっています。なので大金が入ったら、お金が欲しい!という欲望を満たすことができたということであり、それ以上でもそれ以下でもありません。お金が欲しいと願い、努力の結果手に入ったとしたら、それは願望が達成されたことを喜ぶべき話で、それで幸せになれるかはあくまで別の話だと思うのです。

お金は少ないより多いほうがいいに決まっています。だから大金が欲しいと望むのはごく自然です。でも、便利で快適な生活ができたからといって幸せになれるとは限らないのと同じように、自分の願望が叶えられたからといって幸せになれるとは限らないんじゃないかなと思うのです。

また、「幸せを手に入れる」なんて言い方をしますが、手に入れることができるということは、失う可能性もあるわけです。失ってしまったら不幸になってしまうのでしょうか?そうだとすると、いつ失われるか不安になってしまいます。だから幸せは「手に入れる」ものだ、という捉え方はあまりよくないのかもしれません。

幸せとは太陽みたいなもの

例えるなら幸せとは、太陽みたいなものじゃないかと思います。

太陽は、直接見たり触ったりはできないけれど、その存在は常に感じられるものです。同じように幸せも、直接見たり触ったりする類のものではなく、その存在を感じられるかどうかが大切なんじゃないかなと思うわけです。

そして太陽は、頼まれなくても毎日東の空から登ってくるし、別に僕が油断しきっていても誰かに盗まれる心配はないし、曇ったり雨が降ったりするけれどいつかは必ず晴れるのだということを私たちは知っています。つまり太陽の光というのは誰のもとにも無条件に降り注いでいるわけです。

同じように幸せも、無条件に誰もが実感でき得るもの

だと思うのです。

ただし、地下の奥深くに閉じこもっていたりすると、せっかく太陽がさんさんと輝いていてもそのことに気付けないのと同じように、幸せというのもその存在を感じられる場所に身を置く必要はあるんだと思います。

第一歩は心身の健康から

幸せとは条件付きではないとしたら、これからは「どうすれば幸せを手に入れられるのか?」という問いではなく、「どうすれば幸せを実感できるのか?」という問い方をしたらいいんじゃないかなと思います。

無条件に幸せ、生きているだけでもう幸せ!と実感できるようになりたい。

どうすればそれができるようになるのでしょうか?

幸せを実感できるようになるために、難しい訓練はいらないような予感がしています。スキルを積む必要もない。ただ、感じればいいだけ。その感受性を磨くことが最良の道だと思います。

そしておそらく第一歩として、心身を健康に保つことが大切なんだと思います。

二日酔いで具合が悪い時は、普段よりパフォーマンスが落ちることは多くの人が経験しているでしょう。風邪をひいているときは、美味しい食事も美味しいと感じられなくなります。幸せを実感する主体である身体とこころを常に最善の状態に整えておくこと。それが第一歩であり、基本だと思います。

応用問題でつまずいた時は、いつでも基本に立ち返ることが問題解決の王道です。基本にかえって心身を健康に保つ努力をしていきたいものです。