何回かに分けて、『中村天風から教わったやさしい瞑想法』の読書ノートを書いていこうと思います。
「第八章」では、ヨーガと禅のつながりについて説明しています。
一般的なヨーガのイメージは、たんなる体操法であったり、ダイエットや美容に効果的、といったものだと思います。実際のヨーガはもっと大きな体系をもつもので、その体系の最後にくるもの、いってみれば最終目標のようなものが瞑想です。
ヨーガは宗教だろうか
先ほども述べたように、ヨーガというとダイエット法や健康法の一種、といったイメージが強いため、宗教の一種だと思う人は少ないような気がします。今ではスポーツジムでもヨーガプログラムがあるため、ジョギングや水泳といったエクササイズと同類の印象を持つ人のほうが多いのではないでしょうか。
ヨーガでは、眼に見えない世界、スピリチャル的な世界を信じます。その姿勢は宗教というよりも哲学の立場に近いものです。ヨーガは、ただ祈ったり神にすがったりすれば力が得られるとは考えません。正しい方法で自己訓練することによって、自分の中から力がわいてくるものと考えています。
フランスのヨーガ研修者であるポール・マッソン=ウルセルは
「(ヨーガは)一種の自己実現のための実修である」
と言っていて、ヨーガは宗教ではなく哲学だと理解しています。
ヨーガの流れをくむ日本の禅は、他の仏教宗派よりも宗教性は薄く、哲学的要素が強いと言えます。
ヨーガは、自分自身の人生観を哲学的に確立することをめざすもので、天風は
「瞑想などの方法はぜひ私の言う通りにしなさい、しかし、私の人生観は私のもので、信ずるか、信じないかは、あなた方の自由です」
と言っています。
ヨーガとは「結びつける」ということ
ヨーガという言葉の語源的な意味は「結びつける」ということです。何と何を結びつけるのか?解釈はいろいろあるようですが、著者の考えでは、自分の心と体を結びつけることで、その結果自分が大自然と結びつくのではないかと考えています。
現代文明は、理性とか知性を高く評価しすぎています。人間のもつ身体性や肉性も無視せず、その両面を高めることが重要だと著者は言っています。
アメリカの精神分析学者であるエーリッヒ・フロムはこう言っています。
「禅仏教は、インドの合理主義と抽象性と、シナの具体性と現実主義のひとつの渾然たる融合である」
つまりはインド・ヨーガの合理的、抽象的哲学が、中国で具体的、現実主義的な知恵と一つになって禅がすばらしいものになったということのようです。
著者はこれに加えて
「禅は、さらに日本の芸術性、様式性と融合して、よりすばらしいものになった」
と言っています。
今回は「第八章」についてまとめました。
1990年代に、オウム事件がありました。そのオウム真理教が勧誘の入り口としてヨーガや瞑想が使われていました。そのため当時は「ヨーガ=新興宗教=どこか怪しげ」という印象を持つ人が少なくなかったようです。(仕事で疲れたら、瞑想しよう。 1日20分・自分を浄化する習慣 (ソフトバンク新書)より」
その後、美容法としてのヨーガが特に女性の間に広まり現在に至っているのだと思います。
次回は「第九章〜おわりに」までをまとめます。
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[…] 今回は「第七章」についてまとめました。次回は「第八章」についてまとめます。 ogar 投稿 @10:22 AM タグ:meditation, zen, 中村天風, 瞑想, 禅 […]