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6月に入ってすっかり暑くなりましたね。今年もエアコンのお世話になる季節がやってきました。

最近のエアコンは高性能になり、音もだいぶ静かになりましたが、一昔前のエアコンはその音が結構うるさかったものです。

“ヴーン”という一定のノイズが出ていて、最初はうるさいなと思うのですが、しばらくすると気にならなくなります。これは、脳が耳から入ってくるその音を不要な音、意識して聞く必要のない音として捨てているためです。

意識の上ではノイズが気にならなくなっても、脳は絶えず聞こえている音をなかったこととして処理し続けているわけで、負担がかかっている状態です。

エアコンのスイッチを切ると、それまで聞こえなかった(意識していなかった)音が消え、本当の無音になって頭がスーッと軽くなる感じを経験したことはないでしょうか?

普段の生活にも、このエアコン・ノイズみたいなものがあります。すっかり生活の一部に定着してしまって気づかないけど、実は気にしないように脳が無意識のうちに処理していることがあると思います。

  • 見たい番組があるわけでもないのにつけているテレビ
  • 宛先がCCで送られてくるメール
  • 過去一年間、一度も着たことのない服
  • 過去一年間、一度も開けたことのないダンボール

これらの行為や物はできることならきれいサッパリ止めるか捨てるかしちゃいましょう。いわゆる断捨離ですね。まぁ送りつけられるメールは仕事上拒否できないかもしれないので、まずは自分の力の及ぶ範囲でやってみるといいと思います。

僕も去年あたりから身の回りのエアコン・ノイズの除去に取り掛かりました。着ない服を捨て、乗らないスノボを友人にあげ、本も半分以上減らし、お気に入りだと思える物以外は思い切ってほとんど捨てました。

そしたらどうでしょう、綺麗に片付いてスッキリしただけでなく、何か心の負担が軽くなったような気さえしました。特にスノボは手放す最後の瞬間まで未練が残りましたが、いざ手放してみると実は自分にとって負担になっていたことがよく分かりました。というのも、スノボを見るたびに「今年こそは雪山いって滑らないともったいない」という半ば強迫観念じみた思いを抱かされていたからです。

断捨離や片付けの本が多数出ているので、どれか一冊買ってモチベーションを上げつつ、ガッとテンション上げ上げで捨てまくるといいと思います。一度弾みがつくとあれもこれも捨てたくなり、しまいにはお気に入り以外の物が残っているほうが気になってくるようになりますよ。

幸せになるための条件ってあるんだろうか?

ここ最近、「幸せってなんだろう?どうすれば幸せな人生を歩めるんだろう?」ということを考えていて、ふと気づいたことがあります。それは「もしこうなったら今より幸せになれるのに」とか「◯◯があれば今より幸せなのに」と思ったりすることがあるけれど、そもそも幸せというのはそういう「もし◯◯ならば」といった条件付きなのか?ということです。

僕の場合、「もし俺にもっと才能があったらなぁ」とか、「もっとお金があったらなぁ」とかいう願望があるんですが、仮にそれらが手に入ったからといって、幸せになれるとは限りません。幸せになれるかどうかは、自分が幸せだと感じられるかどうかにかかっています。なので大金が入ったら、お金が欲しい!という欲望を満たすことができたということであり、それ以上でもそれ以下でもありません。お金が欲しいと願い、努力の結果手に入ったとしたら、それは願望が達成されたことを喜ぶべき話で、それで幸せになれるかはあくまで別の話だと思うのです。

お金は少ないより多いほうがいいに決まっています。だから大金が欲しいと望むのはごく自然です。でも、便利で快適な生活ができたからといって幸せになれるとは限らないのと同じように、自分の願望が叶えられたからといって幸せになれるとは限らないんじゃないかなと思うのです。

また、「幸せを手に入れる」なんて言い方をしますが、手に入れることができるということは、失う可能性もあるわけです。失ってしまったら不幸になってしまうのでしょうか?そうだとすると、いつ失われるか不安になってしまいます。だから幸せは「手に入れる」ものだ、という捉え方はあまりよくないのかもしれません。

幸せとは太陽みたいなもの

例えるなら幸せとは、太陽みたいなものじゃないかと思います。

太陽は、直接見たり触ったりはできないけれど、その存在は常に感じられるものです。同じように幸せも、直接見たり触ったりする類のものではなく、その存在を感じられるかどうかが大切なんじゃないかなと思うわけです。

そして太陽は、頼まれなくても毎日東の空から登ってくるし、別に僕が油断しきっていても誰かに盗まれる心配はないし、曇ったり雨が降ったりするけれどいつかは必ず晴れるのだということを私たちは知っています。つまり太陽の光というのは誰のもとにも無条件に降り注いでいるわけです。

同じように幸せも、無条件に誰もが実感でき得るもの

だと思うのです。

ただし、地下の奥深くに閉じこもっていたりすると、せっかく太陽がさんさんと輝いていてもそのことに気付けないのと同じように、幸せというのもその存在を感じられる場所に身を置く必要はあるんだと思います。

第一歩は心身の健康から

幸せとは条件付きではないとしたら、これからは「どうすれば幸せを手に入れられるのか?」という問いではなく、「どうすれば幸せを実感できるのか?」という問い方をしたらいいんじゃないかなと思います。

無条件に幸せ、生きているだけでもう幸せ!と実感できるようになりたい。

どうすればそれができるようになるのでしょうか?

幸せを実感できるようになるために、難しい訓練はいらないような予感がしています。スキルを積む必要もない。ただ、感じればいいだけ。その感受性を磨くことが最良の道だと思います。

そしておそらく第一歩として、心身を健康に保つことが大切なんだと思います。

二日酔いで具合が悪い時は、普段よりパフォーマンスが落ちることは多くの人が経験しているでしょう。風邪をひいているときは、美味しい食事も美味しいと感じられなくなります。幸せを実感する主体である身体とこころを常に最善の状態に整えておくこと。それが第一歩であり、基本だと思います。

応用問題でつまずいた時は、いつでも基本に立ち返ることが問題解決の王道です。基本にかえって心身を健康に保つ努力をしていきたいものです。