何回かに分けて、『中村天風から教わったやさしい瞑想法』の読書ノートを書いていこうと思います。

今回は「第一章」の部分です。

「第一章」では、瞑想とは何かということについて、いろいろなアングルから説明しています。

瞑想とは、「なにも考えず、なにも思わない」状態になること

瞑想とは、「なにも考えず、なにも思わない」状態になることを目的としています。この「なにも考えず、なにも思わない」状態とは、「無我無念」の境地であり、「心を空(くう)にした状態」であり、「深い静かな心」の状態でもあります。

ちなみに空(くう)とは、禅で用いられる用語で、瞑想で「空」を感じたあとは、なんともいえない幸福感に心がみたされてくるものらしいです。

また瞑想の時の意識は、睡眠の時や夢をみているときのような意識ではなく、また覚醒時の意識ともまたちがうのだそうです。

瞑想の時の意識は、日常で経験している

瞑想というとなんだか神秘的でスピリチャルな響きがあり、さらには怪しく胡散臭い印象さえ持ってしまうのは僕だけではないでしょう。でも、瞑想の時に得られる状態というのは、日常でも経験していることなんだそうです。
例えば次のような例が挙げられています。
・なにか珍しいものを見てハッとするとき・・・意識が自然に明瞭になり、心が空っぽになる。その一瞬が瞑想に近い状態。
・いいアイディアやひらめきが生まれるとき・・・集中して考えぬき、休憩中やふっと気を抜いた時にひらめく時。そのひらめく一歩手前の時が瞑想に近い状態。

瞑想は今から約四千年以上前から行われている


そもそも瞑想とはいつからおこなわれるようになったのかというと、紀元前約二千年前ころには既に瞑想をしていた形跡があるんだそうです。インダス文明の中心都市であるモヘンジョダロという遺跡から、瞑想をする人の彫刻が発見されたのがその根拠とされています。インダス文明というと、最も古い文明の一つです。ということはある意味人間が人間らしい生活をするようになったときから既に瞑想が考案され、実践されていたといってもいいでしょう。

「無我一念」から「無我無念」へ


「なにも考えず、なにも思わない」状態へはどうやって至るのかというと、まずは何かシンプルな対象に意識を集中することから始めます。何かに集中している状態を「無我一念」といいます。そしてなにも考えず、なにも思わない状態を「無我無念」といいます。

集中の方法については第四章・第五章で紹介しています。
・真っ白な紙に黒いまるい点を見つめる「一点注視法」(第四章で説明)
・単純な音声に耳を傾ける「一オン(第五章で説明)

ヨーガの研究者に、エリーゼ・エヴェラルダという人がいるそうですが、その人は瞑想について次のように表現しています。
「心が静謐なとき、なんらかの真理を感得できる。瞑想はだから、自己を経験的にしる道である」
「瞑想は宗教的なものではないし、儀式でもない。瞑想は意識の拡大であり、絶対的な実在の内的次元を直接経験することである。・・・瞑想は宇宙法則を垣間見るプロセスである。・・・そして瞑想を体験した人は共感、調和、癒し、無条件の愛のなかで生きようという気持ちになる」

また天風の弟子という沖正弘は次のように表現しています。
「瞑想は人づくりの最高の行で、・・・自然治癒力を高める」
「瞑想をすると、天に自分の生命をお任せするという最高のくつろぎの状態になる」

今回は「第一章」についてまとめました。

瞑想というのは今から四千年以上前からおこなわれ、現在まで廃れることなく続いているものなんですね。実践者にとって役に立たなかったりメリットが何もなければこんなに長く支持されることはないでしょう。そういう意味で、信頼性のあるメンタルトレーニング方法なんだと思います。これまでは「瞑想=宗教信者が修行の一環として行うもの」と思っていたのですが、宗教や信仰心とは無関係なんですね。

次回は「第二章」についてまとめます。

何回かに分けて、『中村天風から教わったやさしい瞑想法』の読書ノートを書いていこうと思います。

今回は「序章」の部分です。

「序章」では、日常生活でも瞑想を体験しているといった紹介や、医学で証明された瞑想の効果について紹介しています。

集中=瞑想ではない

著者が「正しい瞑想の方法」を提案したいと思ったきっかけとして、一般に広まっている瞑想法の中には瞑想とは言えないものもあるからでした。

本書で何度も繰り返し述べられていることとして、

集中=瞑想ではない。

ということがあげられます。

集中とは、瞑想を得るための必要不可欠なプロセスではありますが、集中しただけでは、それは瞑想とは言えないのだそうです。集中から解放された瞬間、心が空になり無我無念に入るのが瞑想であり、その無我無念の状態を自覚することが大事なのだそうです。

この空(くう)や無我無念の状態というのは、僕もいまだに瞑想で体験したことがないのですが、著者は日常生活でもそれに近い状態を体験しているといいます。
たとえば、
・おもしろい話を夢中になって聞いているときの、話の「間」のとき
・魚釣りで、水面に浮かぶウキをじっと見ているとき
などに、無我無念に近い状態になっているといいます。

医学で証明された瞑想の効果

医学分野での研究で分かった瞑想の効果を上げると次のようなものがあるそうです。
・睡眠よりももっと深い休息をこころに与える
・感覚が鋭敏になる
・成人病にも効果がある
・扁桃状部のネガティブな判断を是正し、プラス思考を実現する力がある
・恐怖の記憶の中枢をコントロールし、幸福感をつくりだす

特に「睡眠よりも深い休息を得られる」というのは驚きであり、ますます瞑想を体験してみたいと思うようになったエピソードです。

瞑想については、アメリカの大学(UCLAやデューク大学)で盛んに研究が行われているらしいです。瞑想というと、その効用が本人以外には分からないし(あくまで個人的な体験の話だから)、ダイエットのように他者が見て一見して効果が分かるようなこともありません。そのため瞑想について興味がある僕でさえ、その信ぴょう性についてはまだ分からないです。結局、自分の身体を使って体験するしか評価のしようがないのです。それでもこういった医学的に効果が立証されてくると、瞑想とは神秘的なものではなく、もっと運動のように効果の確かなエクササイズといったイメージで取り組めるようになるんじゃないかなと思います。

今回は「序章」についてまとめました。次回は「第一章」についてまとめます。

何回かに分けて、『中村天風から教わったやさしい瞑想法』の読書ノートを書いていこうと思います。

今回は「はじめに」の部分です。

ここでは中村天風と瞑想についてのあらましについて書かれています。瞑想状態というのは、「なにも考えず、なにも思わない」状態なんだそうですが、その状態が続く時間というのが初心者で二、三秒、熟練者でも長くて数秒くらいしか続かないのだそうです。ちょっと意外でした。

中村天風について

まず、中村天風ってだれよ?ということで、何だかマジックでもやってそうな名前ですがそうではなく、日本人初のヨーガの行者で「心身統一法」という瞑想方法を広めた人物です。
略歴は以下のとおり。
・日清・日露の両戦争に従軍(つまり明治時代の人です)
・日露戦争の直後、肺結核を患い「余命六ヶ月」と診断される
・『病によって弱くなった自分の心をどうすれば強くできるか」を探るため世界を放浪
・旅の果て、インド・ヨーガの聖者カリアッパ師に出会い師事
・ネパールの奥地で約三年間瞑想に取り組み悟りを開く
・肺結核を克服し、九十二歳まで生きた
・実業家としても成功、その後全国各地で健康法や人生哲学を教え、多くの政治家や財界人が学ぶようになった

瞑想とは?

では瞑想とはいったいどんなものなんでしょうか?

それは「なにも考えていない、なにも思っていない」心的状態を感得すること、なんだそうです。

※感得・・・奥深い道徳や真理などを感じ悟ること

もう少しくだいて表現すると、「心を洗う」ことであり、「心の自然」=「子供心」をとりもどすことといえます。赤ん坊の心のように、くもりのない澄んだ状態を取り戻す。それが瞑想の目的です。

この「なにも考えていない、なにも思っていない」状態というのが非常に重要らしく、様々な言葉で表現しています。
「無我無念」
「心を空(くう)にした状態」
「赤子の心状態」
などです。「無我無念」という表現が本書では一番よく使われています。

この「無我無念」の境地に至るための準備として、まずなにかに「集中」しなくてはならないんだそうです。ただ座って、すぐに何も考えない状態に到達できるなんてありえないことらしいです。何かに集中し、その集中が高まったところで一瞬途切れる、その一瞬の状態が無我無念状態、空(くう)の状態と説きます。

瞑想するといいことあるの?

瞑想は古くから、宗教者が悟りを開いたり修行の一環として行っていましたが、そういった求道的な側面だけでなく、心身の健康や能力アップなど実利的側面が最近注目されてきている、と言います。

瞑想状態を体験すると、次のようなことが起きるといわれています。
・イヤなことを忘れるのが上手になる
・こころを上手に休めることができる
・こころが安定し、安心感が人生にひろがる
・結果、心身の健康につながる
・病になりにくくなり、病になってもなおりやすい

僕は宗教には興味がありません。そのため瞑想の宗教的側面を深堀してみようとは思っていません。このサイトでは、心身の健康や安らぎ・癒しとしての瞑想にスポットを当てていきたいと思っています。

瞑想に関する誤解

瞑想に関していろいろな誤解があると、著者は語ります。
例えば
・瞑想は何時間も座り続け、疲れても我慢して行うような苦行ではない
・上級者は座っている間、ずっと瞑想状態にあるわけではなく、長くても数秒なのだということ
・瞑想のコツをつかむことは、方法さえ妥当であればむずかしくない
などです。

今回は「はじめに」についてまとめました。次回は「序章」についてまとめます。

本エントリから何回かに分けて、『中村天風から教わったやさしい瞑想法』の読書ノートを書いていこうと思います。

まずは目次と各章の概要から。

目次

はじめに
序章  瞑想の境地
第一章 瞑想とはなにか
第二章 瞑想の目的と効用
第三章 瞑想に関する医学の研究
第四章 瞑想の方法(一) 一点注視法
第五章 瞑想の方法(二) 一点傾聴法
第六章 瞑想の姿勢
第七章 瞑想と坐禅の違い
第八章 ヨーガと禅のつながり
第九章 私の瞑想体験
第十章 瞑想の達人としての天風
終章  天風先生の思い出

概要

まず「はじめに」では、中村天風と瞑想についてのあらましについて書かれています。瞑想状態というのは、「なにも考えず、なにも思わない」状態なんだそうですが、その状態が続く時間というのが初心者で二、三秒、熟練者でも長くて数秒くらいしか続かないのだそうです。

第一章で、瞑想とはなにかを解説しています。瞑想とは「心を洗う」ことであり、「心を空にする」ことであり、「心の自然をとりもどす」ことであるといいます。この「空(くう)」という考え方が、どうやら重要のようですね。

第二章では、瞑想によって得られる効果について書かれています。瞑想、というと宗教の修行の一種と思われがちですが、ここではそういった宗教的な目的だけではなく、実利的な面、つまり心身の健康になったり、仕事力がアップしたりといった、日々の生活の改善にも効果がある点を指摘しています。

第三章では、そういった実利的な面での効用について、医学の分野での研究結果を紹介しています。

第四章から第六章にかけて、具体的な瞑想方法について解説しています。黒い丸印を注視して集中する方法、一定の音を聞くことで集中する方法が説明されています。座り方は最初はあまり堅苦しく考えなくてもいいそうです。

第七章、第八章では、瞑想・禅・ヨーガの定義の違いやそれぞれの歴史について触れています。

第九章から終章にかけては、著者の瞑想体験や中村天風とのエピソードが綴られています。

次回は、「はじめに」の内容をまとめたいと思います。

最近、瞑想について興味が湧いてきていてネットで調べていたら、著者の厚意により全文無料で読める本というのを見つけました。出版元はPRESIDENT社(ビジネス書やdancyuなどの雑誌を出版しているところ)で、こちらのリンクからアクセスできます。

※追記(2014/3/9)
現在では残念ながら、無料では読めなくなっています。

中村天風は、日露戦争時にスパイとして活動した人物で、司馬遼太郎の『坂の上の雲』にもその名前が出てきます。日露戦争後に結核を患い、病気のために弱くなった心を強くする方法を求めるうちにヨーガに出会い、「心身統一法」というヨーガの実践方法を広めたんだそうです。

その中村天風に12年間、直接指導を受けた著者による瞑想入門書です。とても読み易く、また瞑想のよさを分かりやすく伝えています。

瞑想とは、「心を洗うこと」だとこの本では言っています。現代社会の、というのは大げさだけど少なくても今の僕にとって、求めているものにとても近いなと感じました。

瞑想に興味がある人にはお薦めです。

※本書について、まとめ記事をアップしました。あわせてどうぞ!

『中村天風から教わったやさしい瞑想法』読書ノート

 

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農業くらいしか主要産業がなかった貧しい日本国が、世界列強と肩を並べるほどの軍事力を持ち、帝国主義の列強に屈せず独立を危ういところで勝ち取った。それが日清戦争であり日露戦争であった。
司馬遼太郎先生の文体は清々しく今でも読みやすい。